生と死を忘れる

生を肯定して、痛みを否定するのは生存本能的に自然だ。生き残る上で実に都合の良い考え方だ。

 

でも、人生の最後のページは誰にとっても共通だ。死を悪とするならば、人生は全てバッドエンドだ。それに近づくことさえも悲観的に思ってしまうかもしれない。

 

反対に、死を肯定して、生を否定することは生存本能に背く行為だ。それは強い苦痛を伴うだろう。何十万年、生き残ってきた強烈な生存本能を受け継ぐ我々にとっては耐え難いほどに辛いものだ。(だから、生き残っているわけだが)

 

長期的には、どちらかの肩を持つことで、幸せになれるとは思えない。だから、どちらも許容して、それが訪れるまで生存本能に則って日々を過ごす。どれだけ怯えたって必ずいつか来るなら気にする必要なんてない。いつ来るかもわからないなら、心配しても無駄。それなら、日々を過ごすために、一歩先、手の届く幸せの方が重要だ。

生も死も体験するまでは言葉に過ぎない。死は予測できないのだから、それを忘れて日々を過ごす。